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土師繁様へ

 投稿者:ふらり旅乃助  投稿日:2018年 1月25日(木)20時29分8秒
返信・引用
  土師繁様へ 土師家の先祖のこと書かれておりましたが、土師様は土師家とどのような関係なのでしょうか。土師の末裔でしょうか。又、九州での足利尊氏の件、加藤清正の件、そして高橋元種改易のことなど、どこでお知りになったのでしょうか。差支えなければお書込みください。  
 

土師さん、こんにちわ(2報)

 投稿者:野口 靖夫  投稿日:2018年 1月 5日(金)12時31分48秒
返信・引用
  土師繁さん

17/12/20の私の便りに、誤りがありますので、訂正しておきます。
(なぜ、こんな飛躍した考えの過ちをしたのかは、謎です?)

半ばくらいの部分に「それから10代あとの・・・」とあるところは、つぎのように訂正させていただきます。

始祖の吉用十郎衛門明真から8代あとの吉用権六明一(兵助)(よしもち ごんろく あきかず、別名 へいすけ)には、妻妙音とのあいだに4男3女がありました。そして、子らのうち末子の娘菊千代の子の長男が、私の父野口政次郎です。

以上
 

土師さん、こんにちは

 投稿者:野口 靖夫  投稿日:2017年12月20日(水)15時44分7秒
返信・引用
  土師繁さん、はじめまして

たいへん嬉しい言葉を聞きました。
私と土師さんは、同じdnaをもっているだろうと思います。
(すでに、このメール文の前の長いメール文を、うかつにも消してしまったりしたので、高齢者の私には、長くて精密な文をかくのが億劫です。
が、そうはいってられないので、いま少しがんばりますが・・・)


私の先祖は吉用美作(よしもち みまさか)といって、現宮崎県東部の延岡市に1590年代に築城された「縣城(あがたじょう)」の家老のひとりでした。当時、肝胆相照らす仲の配下に土師七左衛門(はじ しちざえもん)がいました。城主は、高橋右近太夫元種(うこんだゆう もとたね)様でした。
(元種殿のご子孫、高橋豊秋様とは、いまもメル友を拝しています)

その後、わけあって改易処分となり、城下の者たちは名と財産のことごとくを失いました。
そのとき、殿と行を共にする者たちは、現福岡の柳川藩、立花飛騨守宗茂(たちばなひだのかみむねしげ)の元に預けられました。
宗茂は、勇武の士として、関が原以後西軍ただひとり土地を安堵されたことであまりに有名な九州の武将でした。

美作は、幕府の理不尽な改易に対し冤罪である旨の直訴を申し立て、これが認められ御赦免となりましたが、すでに遅く、城も船舶をはじめとする財産、そして四分五裂化した城ざむらいともども、修復もかなわぬ態となりはてました。
その後、美作は、宗茂と懇意であった彦根藩に転封となり、井伊に召し抱えられる身となりました。
1615年、戦国最後の戦い大阪夏の陣のとき、男子のいなかった美作は、急遽養子を迎えて陣態を整え、井伊直高旗下に参じました。
このときの養子が、たれあろう土師七左衛門の子清兵衛(せいべい)だったのです。
母衣役(もえやく、伝令の役目)として功績を認められた清兵衛は、帰還まもなく300石をあたえられ、名も「吉用十郎衛門明真(よしもち じゅうろうえもん あきまさ)」となりました。

それから10代あとの野口政次郎が私の父です。祖父彦三郎は、明治期の北海道標茶で商社活動で名をなした人物でした。

繁さんのお話のなかで気がついたのですが、美作のときと、おそらく同時期に、七左衛門らしき人が加賀藩に転封されたということになります。改易が冤罪と知れるにおよび、これに辟易した幕府は、右近太夫様配下の者たちを厚くもてなそうとしたのではないでしょうか。徳川四騎のひとり井伊、そして前田の加賀藩などに出仕の道を諾々として開いたのは、冤罪を犯してしまった
幕府の贖罪というべきものだったのでしょう。

私のルーツさがしも、いいかげんなものしれませんが(家人は、すこし疑っていますが)最後に、「百済(くだら)の25代武寧王(ぶねいおう)、桓武天皇の生母・高野新笠(たかののにいがさ)、菅原道真(すがわら みちざね)」らは、”土師の血でつながって”います。
(くわしい資料・由緒帳など、省略)
もし、親族の中に受験などひかえている人がいましたら「祖先に道真がいるんだゾ」と声高に
おっしゃってください。霊験が得られると思います。

よしもち、はじ、などの音のひびきは、どうもヤマト的ではないと思いながらルーツ探しの遊びに興じてきました。思ったとおり、騎馬民族を祖に持つ”渡来人”でした。

つい遊びのつもりの話が長びいてしまいました。
お許しください。

土師繁さんの、活躍を祈ります。

どうか、すこやかに2018年をお迎えください。

神奈川県相模原市  野口 靖夫(S15生)
 

土師家について

 投稿者:土師 繁  投稿日:2017年10月12日(木)19時44分12秒
返信・引用
  明治維新のとき先祖(加賀前田藩の家臣)が新政府に提出した過去帳のなかに、先祖は日向の地侍らしく、足利尊氏が九州ににげてきたときに、戦ったと書いてあり、その後戦国時代に高橋右近太夫の家臣として、秀吉の朝鮮出兵のとき加藤清正の一軍団として、朝鮮で戦死したとの記述がみられました、その後高橋家は改易となり、浪人したようですが、理由はわかりませんが加賀前田家に就職したようで、幕末まで続いていたようです、何か土師家のことについて情報がありましたらご連絡ください。  

彦根ご先祖の墓参り

 投稿者:野口 靖夫  投稿日:2017年 4月30日(日)18時11分25秒
返信・引用
  4月7・8日、娘製作の釈迦誕生仏(ガラス製)に会うため、井伊家の菩提寺清涼寺を訪れました。待望久しかった息子さんの行寛(ぎようかん)師を住職にすえて、広縁の寺もいっそう華やいでいました。
すぐそばの龍譚寺(りょうたんじ)に、先祖吉用(よしもち)一族の墓群のあることは、彦根城の武士由緒帳の探索から、関係者により知らされていました。
6基の小さな墓群は、すでに戒名を記した古書も失われていたため、くわしくは不明。ですが、私の祖母菊千代の母の名をきざんだ戒名は、あざやかに読みとれました。菊千代は、男4名、女3名の末子でした。父は吉用兵助(へいすけ)、母は妙音(たえね)。墓石には、妙音大姉の文字がはっきりとありました。墓地の最奥にあるこれら墓群には、どれも女性名がきざまれており、戸長の名がないことに違和感。どこかにそれがあるだろうに・・というこちらの願いを聞き入れてくれたかのように、もどる道すがら、まったく偶然にも吉用代々の墓と高位の武士の墓2基にめぐり合うことができました。今回の彦根行のビッグ・ハプニング!でした。同行してくれた寺社関係者は、家型の大きな2基の墓石を見て、殿様仕様のものと即断。残念ながら、約400年の風雪は、表面のことごとくを砂状となしていました。ですが、どちらかが、大阪夏の陣に井伊藩から参戦した、われらが始祖吉用十郎衛門明真のものにちがいありません。だが、もうひとつの墓は、誰のものか?
2代目明延のものにしては立派すぎる。おそらく、吉用本流の始祖美作のものとするのが妥当かもしれない。

このたびの彦根行は、菊千代の連れ合いの墓参り(元昌寺)、娘の誕生佛との再会、分流吉用家
の代々の墓の発見、と多くのイベント・ハプニングに出くわす旅となりました。
吉用代々の魂がこの先安らかなることを祈り、またいまにいたるその功徳に感謝したい。
また、遠くから先祖探索を支援していてくれた、美作の時代の殿様の末裔の高橋豊秋様に感謝申しあげます。

神奈川県相模原市  野口 靖夫

 

お見舞いもうしあげます

 投稿者:野口 靖夫  投稿日:2016年 9月23日(金)21時16分2秒
返信・引用
  高橋 豊秋 様
知っていましたメールアドレス宛のLTRが、エラーとなりましたので、掲示板をお借りしました。
どうか、ご覧ください。


高橋 豊秋 様

このたびの台風14号の被害をTVで見ました。
いままでの台風で、延岡の地名を報道される
ことは稀でしたが、今回は、被害のおよぶ範囲
が広く、しかも急激であったために、何度も伝えられる
ことになったと推測します。
高橋さんと、お付き合いの方々で被災したひと達
に、お見舞い申しあげます。

当地相模原市は、指定都市に伴う合併地域外の
われわれの市街地は、いつものように、無事でした。
他人ごとながら、ご安心願います。

水害には、上流の市街地などの流出物による流体による
皮膚病が伴うはずです。
どうか、お気をつけください。

来年5月には、彦根にて、先祖代々の墓に詣でるつもりです。

神奈川県相模原市  野口 靖夫 9 /21
 

(無題)

 投稿者:すずき  投稿日:2014年 8月24日(日)13時10分2秒
返信・引用
  Message body 千葉県館山市という所へ 田舎暮らしに憧れ引っ越してきたのですが

毎日 そこいらじゅうで 焚き火をしていて 空気が汚く

中国のPM2.5どころではありません

窓も開けられませんし 息子も最近喘息ぎみで

役所に相談しても相手にされません

また引越しするしかありません
 

台風も竜巻も初歩的科学研究で可能

 投稿者:ねこ  投稿日:2013年 6月 4日(火)11時56分11秒
返信・引用
  台風も竜巻も初歩的科学研究で可能

http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p009.html#page102

何故なら、歴史的に、相当古くから、気象操作は行われていた。
(仮説を含む)
( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0103/p033.html )
 

初めまして

 投稿者:はぎのお会  投稿日:2013年 3月24日(日)16時59分49秒
返信・引用
  岩屋城戦没者「萩尾麟可、大学」の末孫です。
還暦を過ぎて、二年前から御先祖の勉強を始めてみました。
時々立ち寄って、勉強させてもらいます。
よろしくお願いします。
 「はぎのお会」
http://blogs.yahoo.co.jp/daigaku671
 

アイコン頂きました。

 投稿者:金沢の素人  投稿日:2012年 9月17日(月)08時38分39秒
返信・引用
  トヨタネ様
おはようございます。
土木資料館@貮壱様の所からお邪魔しました。
面白いサイトですね。アイコン頂きました。私の掲示板に使わせて頂きます。不都合が有ればご連絡ください。
私も40数年前、父が漁師で北海道に住んでいました。砂浜に長い長い昆布とか干してあった様な記憶が有ります。最近旅行とかで行くと花咲きなんかとても変わっていてびっくりしたのを覚えています。又お邪魔します。

http://katasetsubi.web.fc2.com/

 

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