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土師家について

 投稿者:土師 繁  投稿日:2017年10月12日(木)19時44分12秒
返信・引用
  明治維新のとき先祖(加賀前田藩の家臣)が新政府に提出した過去帳のなかに、先祖は日向の地侍らしく、足利尊氏が九州ににげてきたときに、戦ったと書いてあり、その後戦国時代に高橋右近太夫の家臣として、秀吉の朝鮮出兵のとき加藤清正の一軍団として、朝鮮で戦死したとの記述がみられました、その後高橋家は改易となり、浪人したようですが、理由はわかりませんが加賀前田家に就職したようで、幕末まで続いていたようです、何か土師家のことについて情報がありましたらご連絡ください。  
 

彦根ご先祖の墓参り

 投稿者:野口 靖夫  投稿日:2017年 4月30日(日)18時11分25秒
返信・引用
  4月7・8日、娘製作の釈迦誕生仏(ガラス製)に会うため、井伊家の菩提寺清涼寺を訪れました。待望久しかった息子さんの行寛(ぎようかん)師を住職にすえて、広縁の寺もいっそう華やいでいました。
すぐそばの龍譚寺(りょうたんじ)に、先祖吉用(よしもち)一族の墓群のあることは、彦根城の武士由緒帳の探索から、関係者により知らされていました。
6基の小さな墓群は、すでに戒名を記した古書も失われていたため、くわしくは不明。ですが、私の祖母菊千代の母の名をきざんだ戒名は、あざやかに読みとれました。菊千代は、男4名、女3名の末子でした。父は吉用兵助(へいすけ)、母は妙音(たえね)。墓石には、妙音大姉の文字がはっきりとありました。墓地の最奥にあるこれら墓群には、どれも女性名がきざまれており、戸長の名がないことに違和感。どこかにそれがあるだろうに・・というこちらの願いを聞き入れてくれたかのように、もどる道すがら、まったく偶然にも吉用代々の墓と高位の武士の墓2基にめぐり合うことができました。今回の彦根行のビッグ・ハプニング!でした。同行してくれた寺社関係者は、家型の大きな2基の墓石を見て、殿様仕様のものと即断。残念ながら、約400年の風雪は、表面のことごとくを砂状となしていました。ですが、どちらかが、大阪夏の陣に井伊藩から参戦した、われらが始祖吉用十郎衛門明真のものにちがいありません。だが、もうひとつの墓は、誰のものか?
2代目明延のものにしては立派すぎる。おそらく、吉用本流の始祖美作のものとするのが妥当かもしれない。

このたびの彦根行は、菊千代の連れ合いの墓参り(元昌寺)、娘の誕生佛との再会、分流吉用家
の代々の墓の発見、と多くのイベント・ハプニングに出くわす旅となりました。
吉用代々の魂がこの先安らかなることを祈り、またいまにいたるその功徳に感謝したい。
また、遠くから先祖探索を支援していてくれた、美作の時代の殿様の末裔の高橋豊秋様に感謝申しあげます。

神奈川県相模原市  野口 靖夫

 

お見舞いもうしあげます

 投稿者:野口 靖夫  投稿日:2016年 9月23日(金)21時16分2秒
返信・引用
  高橋 豊秋 様
知っていましたメールアドレス宛のLTRが、エラーとなりましたので、掲示板をお借りしました。
どうか、ご覧ください。


高橋 豊秋 様

このたびの台風14号の被害をTVで見ました。
いままでの台風で、延岡の地名を報道される
ことは稀でしたが、今回は、被害のおよぶ範囲
が広く、しかも急激であったために、何度も伝えられる
ことになったと推測します。
高橋さんと、お付き合いの方々で被災したひと達
に、お見舞い申しあげます。

当地相模原市は、指定都市に伴う合併地域外の
われわれの市街地は、いつものように、無事でした。
他人ごとながら、ご安心願います。

水害には、上流の市街地などの流出物による流体による
皮膚病が伴うはずです。
どうか、お気をつけください。

来年5月には、彦根にて、先祖代々の墓に詣でるつもりです。

神奈川県相模原市  野口 靖夫 9 /21
 

(無題)

 投稿者:すずき  投稿日:2014年 8月24日(日)13時10分2秒
返信・引用
  Message body 千葉県館山市という所へ 田舎暮らしに憧れ引っ越してきたのですが

毎日 そこいらじゅうで 焚き火をしていて 空気が汚く

中国のPM2.5どころではありません

窓も開けられませんし 息子も最近喘息ぎみで

役所に相談しても相手にされません

また引越しするしかありません
 

台風も竜巻も初歩的科学研究で可能

 投稿者:ねこ  投稿日:2013年 6月 4日(火)11時56分11秒
返信・引用
  台風も竜巻も初歩的科学研究で可能

http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p009.html#page102

何故なら、歴史的に、相当古くから、気象操作は行われていた。
(仮説を含む)
( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0103/p033.html )
 

初めまして

 投稿者:はぎのお会  投稿日:2013年 3月24日(日)16時59分49秒
返信・引用
  岩屋城戦没者「萩尾麟可、大学」の末孫です。
還暦を過ぎて、二年前から御先祖の勉強を始めてみました。
時々立ち寄って、勉強させてもらいます。
よろしくお願いします。
 「はぎのお会」
http://blogs.yahoo.co.jp/daigaku671
 

アイコン頂きました。

 投稿者:金沢の素人  投稿日:2012年 9月17日(月)08時38分39秒
返信・引用
  トヨタネ様
おはようございます。
土木資料館@貮壱様の所からお邪魔しました。
面白いサイトですね。アイコン頂きました。私の掲示板に使わせて頂きます。不都合が有ればご連絡ください。
私も40数年前、父が漁師で北海道に住んでいました。砂浜に長い長い昆布とか干してあった様な記憶が有ります。最近旅行とかで行くと花咲きなんかとても変わっていてびっくりしたのを覚えています。又お邪魔します。

http://katasetsubi.web.fc2.com/

 

ルーツをたどる

 投稿者:ノグチさん  投稿日:2012年 7月 6日(金)19時22分26秒
返信・引用
  トヨタネ様

お世話になっております。
おからだのほうは、もとのお元気をとりもどされたでしょうか。

トヨタネ様のご先祖、縣城城主高橋右近太夫様治世のみぎりの家老のひとり、
吉用美作(よしもち みまさか)の養子、土師七左衛門の子土師清兵衛(はじ
せいべえ)が、血縁からみたときのわれらが始祖です。
入婿後の名は吉用十郎衛門明真(よしもち じゅうろうえもん あきまさ)。
吉用一族は、美作を始祖とする隼之丞家(はやとのじょうけ)を本流とし、
明真を始祖とする十郎右衛門家とに二つに分流しました。
分家の十郎右衛門家の実家のユニークな姓「土師」は、渡来系の専門職集団として、
遠古の歴史をたどってきました。
宮廷の陶器の製作集団としてこの分野を仕切り、また墳墓の造営にも貢献しています。
さらに、学問の分野においても平安期に名をなし、のちに政界入りした菅原道真のような
位いを極めた人物をも輩出しています。
さらに、奇想天外と思われるかもしれませんが、土師一族の者が天皇の生母であり、
遠祖が朝鮮古代三国の一つ、百済(くだら)の王家につながっているらしいと知るに
及び、私のささやかなルーツさがしのゲームも、大団円を迎えた気がします。

以下に示したのは、私が、子らや親戚すじに発信してきた「ルーツをたどる」の
最新号(第19報)です。
これをご覧になるみなさまに異論、争鳴などあろうかと思いますが、夏の座興の
ひとつとして、ご寛恕願う次第です。

****************************************



           われらが先祖は ”天皇の生母”   (ルーツをたどる 第19報)
          そして、遠祖は百済の王?


     「鳴くよ ウグイス 平安京」(AD 794年)は、ゴロあわせ年代記憶法のなかでも
     代表格だ。
     そして、平安時代の幕あけとこの時代の充実は、桓武天皇(在位 781-801)
     によるものとは、のちの誰もがみとめるところである。
     十年間皇位を維持した光仁(こうにん)天皇は、病いにかかり781年に息子の
     山部(やまべ)親王に譲位した。この人が第五十代の桓武(かんむ)天皇
     (737-806)になる。

     彼は、都を平城京から長岡京に移そうとしたが、怨霊に悩まされたこと、洪水の痛手、
     工事の遅れなどが重なり、土地を変えて平安京の造営に励むことになった。

     このとき、強力なバックアップとなったのは、秦(はた)氏・藤原氏であった。

     長岡京の造営は断念したが、ここにこだわったのには理由があった。それは、

     桓武自身が、長岡京の造営をもくろんだ山背(やませ)の地(現 京都市西京区大枝)
     で生まれ育ったからだといわれている。
     彼の母、和新笠(やまと の にいがさ)の生地が山背であり、ここで桓武を
     生み育てたといわれる。新笠の母は土師朝臣真妹(はじ あそん まいも)という。
     延暦九年(791年)に、土師氏は、菅原・大枝(おおえ)・秋篠(あきしの)に分流している。
     第17報で、菅原道真(みちざね)がわたし達の遠祖につらなるらしいといったが、
     この話によって「土師」と「菅原」がつながるのが分るだろう。

     (”まいも”といい、”にいがさ”といい、古代をイメージさせる優雅な響きの名だ。
     もし娘ができたら、こうした名をつけてみたいと、つい考えはしまいか?)


     延暦八年に新笠は没しているが、「続日本紀(しょくにほんぎ、日本書紀の続編)」
     には、彼女の出自を「百済武寧王之子(くだら ぶねいおうのこ)」と伝えている。
     彼女の出身一族は和史(やまと の ふひと)といって、これ以前には知られることの
     少ない氏族であり、それだけに、渡来系であることは事実のようだ。
     桓武は母方の遠祖を渡来の百済王族にもとめだけあって、人材の多くを渡来系
     から採用している。
     従来は、渡来系の縁戚はむしろマイナスイメージのもとであったが、実母が

     百済の王系であることを運命と定め、これをプラス要因にしてそのイメージを高めよう
     と努めた賢明な王だったといえるだろう。

     ちなみに、武寧王(AD462-523)は百済の第25代の王。
     韓国公州市の円形王陵が1971年に未盗掘のまま発掘され、三千点にものぼる
     遺物が発見されている。
     死後に15年間も造営されつづけたことが墓誌であきらかにされており、、その精妙な
     墓室の作りと燦然たる金製の王冠をはじめとする装飾・調度品の豪華さにより、
     世界的な話題となった。
     百済は、高句麗、新羅とならぶ朝鮮古代三国のひとつだったが、660年、唐・新羅
     連合軍により滅ぼされてしまう。


     *ルーツさがしの手法は、資料・文献などにより、家系・家督・祖名を追っていく
      が、どれにも完全、完璧なものはない。それぞれが、変転し変化し姿を変えて
      ゆくからだ。それに、ご都合主義の嘘もまじる。
      今回のルーツさがしも、近代の実物の古文書から歴史文献や書物の孫びき

      にまでおよんでしまった。
      だが、真実にはたどりつけなくても、そして先祖の系の解明に揣摩臆測が

      まかりとおるような事態にになったとしても、先祖にたどりつこうとするときの糸をたぐる
      面白さにはかわりがないと思う。

      今回、朝鮮半島にまでおよぶルーツさがしに示唆をくれたのは、水谷千秋氏の
      諸著作である。「謎の豪族 蘇我氏」「謎の渡来人 秦氏」(文春文庫)など、
      これらは凡百のへなちょこ小説よりはるかに面白く、役にたつ。

      *韓国に行ったら、公州に行き武寧王の陵と出土品を見てくるべし。

                        19報  (完)  2012/6/11










 

おはようございます

 投稿者:まめきち  投稿日:2012年 1月23日(月)09時55分49秒
返信・引用
  > No.148[元記事へ]

トヨタネ様、おはようございます。

教えていただいた但馬地方の方言のサイト読んでみました。
兵庫県の上の方に行くと、(広い意味での)関西弁と中国地方の方言が
混ざっている感じがします。
見ていくと理解出来る言葉も多いです。
「ヨダキー」は、但馬地方では今も使われているのでしょうかね?

しかし「おっきん」「あゆる」「いみる」については、文字をみただけでは
まったくわかりませんでした。
方言集を見ていっても但馬の方言に比べ、わからない言葉の方が多かったです。

宮崎出身の友人がいますが、彼女が宮崎出身者同士で早口で話している時に
ほとんど理解が出来なかったことを思い出しました。
(横で聞いていたのですが、ほとんどわかりませんでした)
狭い日本でもこれだけ違うんだなとその時思いました。

このたびはお世話になりました。どうもありがとうございます。
これからも方言が生き残ることを願っています。
個人的には共通語と方言のバイリンガルが一番いいと思いますので・・
 

まめきちさんへの返事

 投稿者:トヨタネメール  投稿日:2012年 1月22日(日)11時46分0秒
返信・引用
  > No.147[元記事へ]

まめきちさんへのお返事です。

まめきちさん お早う御座います。

昨日の笠岡は兵庫県山岡の勘違いでした。。
山岡の中学校の先生のまとめている、山岡の方言集の「ヨダキー」が載っているページです。
http://www2.nkansai.ne.jp/users/ytaniguchi/tajima50yan.htm
古語の「ヨダケシ」(大儀な)から来ています。

それと、延岡では数年前までは「オッキン」「アユル」「イミル」・・・の言葉が日常的によく使われていました。でも今では、全く聞きません。  何だか分かりますか?  「アユル」「イミル」は古語です。僕のホームページ延岡弁「ボクジャー」に古語からきた言葉は赤文字で「古語」と入記しています。

暇なときでも読んでください。




 

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