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中日新聞より転載
投稿者:
佐太トンネル
投稿日:2006年12月 8日(金)08時26分6秒
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旧富山村見守った石碑倒される
出身者「魂汚されたよう」と憤り
佐久間ダム建設の移転により、今は無人になっている豊根村富山(旧富山村)の佐太地区で、山里の歴史を刻んだ石碑5基が何者かによって、すべて倒されているのが見つかった。同地区出身で発見したNPO法人事務局長鎌倉聡さん(50)=同村富山久原=は「何のつもりか分からないが、魂を汚されたようでやり切れない」と憤っている。
倒された石碑は年代は不明だが、近くを流れる天竜川の運航安全を祈願したとされる高さ2メートル、幅1・4メートルや、1907(明治40)年建立で高さ1・4メートル、幅1メートルの戦没者を慰霊した忠魂碑など。この2基は、いずれも花こう岩の自然石で重さは2トンと1・5トンほどもあり、コンクリートの土台に固定されていた。
現場は旧村の北端で長野県との境。県道からは下を流れる天竜川方向へ100メートルほど下った杉林の斜面にある。石碑は水没個所から1カ所に集められ、祭ったとみられる。現在は廃屋になっている鎌倉さんの生家からは30メートルほど離れており、普段、人が立ち入ることはないという。鎌倉さんが11月下旬にユズを採りに出掛け、石碑が倒れているのを見つけた。
今も旧村内に住んでいる同地区出身者は鎌倉さんだけ。「関係のない人にはただの石かもしれないが、われわれにとっては心のよりどころ。佐太を離れた人たちが知ったら悲しむだろう」とまゆをひそめる。以前にも、生家に残してあったランプや柱時計が持ち去られることがあったという。
同地区は55(昭和30)年に佐久間ダムが建設され、大半が水没するまでは約30戸の民家があった。住民は豊川市や新城市などへ移転したが、鎌倉さんの生家だけは75年ぐらいまでとどまっていた。
鎌倉さんは「このままでは、魂が鎮まらない。何とか、年内には元に戻したい」と、ダムによって移転せざるを得なかった住民の声を代弁している。
人口の少なさから「日本一のミニ村」として知られた旧富山村も、昨年11月に豊根村と合併し、村名が地図から消えた。
(野末幹雄)
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